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中村党(中世武士団)と館跡
Nakamura Medieval Warriors and Remains of Mansion

 中世の相模国西部には源頼朝を支えた武士集団が住んでいました。棟梁で中村に住んでいた平宗平はその地名にちなみ、中村荘司宗平と名乗り、早い頃から源頼朝に仕え、源頼朝挙兵時にはその軍の中核をなしたといわれています。

 宗平には7人の子供がいました。男子は嫡男重平、次男実平、三男宗遠、四男友平、五男頼平で、それぞれ中村、土肥、土屋、二宮、堺を名乗り、相模国西部に勢力を誇った中村党という武士集団になります。中村党は1180年の石橋山の戦いで頼朝勢として加勢しましたが戦いに敗れました。実平は山中で頼朝をかくまい、土肥の領地である現湯河原から船で逃げ延びたのでした。その後頼朝が再起して鎌倉幕府を樹立した際にも中村党が貢献したといわれています。

 さて源頼朝がたびたび訪れたという中村荘司宗平の館がどこにあったのかははっきりしていないようですが、中井町と堺を接している小田原市小竹の「殿の窪」にある丘陵の上に建っていた可能性があり、小田原市が整備し説明書きが立っています。ただし中井町の五所八幡宮南側の地域であった可能姓もあり、その所在は謎に包まれています。

写真にある「殿の窪」は江戸民具街道から中村川沿いに下流に向かって歩いて20分位のところにあります。石碑と小さな五輪塔が建っています。

 
丘陵南側にある小道を入り、30m程進むとに石碑と五輪塔があります。

グーグルマップ

 

  五所八幡宮の南側は地元では荘司御殿と呼ばれており、中井町久所・田中に宗平の館があった可能性もあるとのことです。ちょうど五所八幡宮の石段上から見下ろしたエリアになります。中村党は和田義盛の反乱や上杉禅秀の乱に加担しましたが敗れたため、次第に勢力を失ったといわれています。

五所八幡宮

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