おもしろ体験博物館
江戸民具街道でじたる案内人”でじだるま”

Japanese Folk Art Museum
Edo Mingu Kaido Digital Guide
おもしろ体験博物館江戸民具街道の展示ガイド、ラジオがおもしろい!

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ラジオ
Radio

 ●ラジオ放送の始まり

 大正14年(1925年)、日本でラジオ放送が始まりました。大正12年の関東大震災を機に情報の重要性が問われ、民間放送ではなく公共放送という形でラジオ放送が実現したのす。アメリカでは1920年にラジオ放送が始まっていました。それは第一次世界大戦から帰国した兵士達が行ったアマチュア放送が人気を博したもので、それを機にメーカーがラジオ機器の生産・販売を開始したのです。

 周波数は中波のAM放送です。初期のラジオは真空管を使い、音を増幅して再生しました。電池式から電灯線式、コンセント式へと進化します。初期ものは自動車のバッテリーのような大きさの電池を並べて使いました。充電するのもさぞかし大変だったことでしょう。

 
真空管が並んだラジオ(米国Atwater Kent社製 Model10 1922年)

 ●東京放送局

 日本で最初に放送が行われたのは東京の芝浦にあった仮放送所でした。大正14年3月22日のことです。その後大阪、名古屋で放送局が開局します。その翌年、東京放送局は愛宕山に移り、本放送を開始します。東京中央放送局のコールサインはJOAKです。これは今の日本放送協会(NHK)第一放送のコールサインです。

 
JOAK絵葉書

 ●大正14年4月1日の報道

 大正14年4月1日発行の国際写真タイムズでは以下のように報じられました。

「待ちに待たれたラヂオが、愈愈三月一日午前九時を皮切りに東京市を始め近県に放送された。芝愛宕山山上に新築さるるまで芝浦の一郭に手狭な一戸を構えた東京放送局では、据付け機械に不備な点があったため正式認可を得られず、ために仮放送の名によって開始されたのである。この日ラヂオファンは芝浦から満都の空に投げられた電波を逃すまいと、早朝から緊張した気分で定刻前にマクナボックスの前に耳を聳てた。局では北村技師長の合図で京田放送主任が先ず海軍々楽隊の放送を報じ第一日の番組に移った。アルフォードの行進曲の奏楽は約二万五千のラヂオ所有者の家々に伝わった。正午からは歌沢、三曲合奏なぞ微細な音律も送られた。帝劇のイタリア歌団の独唱など第一日は好成績を挙げた。


芝浦の仮放送所にて技士らによる放送試験中の風景


右上、海軍々楽隊の奏楽、
上左、ラヂオ局総裁後藤新平氏が自宅書斎で熱心に聞きつつあるところ、
下右、逓信大臣犬養毅氏は病床を出て夫人や芳沼氏令嬢昌子(右)元子(左)さん等と一同で耳をすます
下左、歌澤家元の歌澤寅右衛門に娘の寅英さんの二人」

 ●ラジオ放送聴取料

 日本では受信料を徴収するイギリス式が採用されました。料金は月2円でしたが、すぐに1円なり、更に50銭まで下がったそうです。当時大卒サラリーマンの初任給が50円~60円だったとのことから、一般家庭でも支払うことができる料金だったのではないでしょうか。ラジオを設置して放送を受信するには許可証が必要でした。以下東京送信局が大正14年9月4日に発行した聴取無線電話私設許可証です。当時ラジオは無線電話と呼ばれました。


聴取無線電話私設許可証
(大正14年9月4日東京送信局認可)

 関東では仮放送の時に3,500台の登録があり、翌年の本放送の時にはその10倍以上の37,000戸が聴取料を支払ったそうです。

 ●当時のラジオ(真空管を使ったもの)

 真空管を使った1920年代の米国のラジオをご紹介します。日本では当時家が一軒買えるほどの高級品ラジオがあったそうです。


Westinghouse Aeriola SR. Receiver
1922年
バッテリー式

Atwater Kent社製20C
1926年
バッテリー式

Atwater Kent社製Model40
1928年
ACコンセント電源式

●ラジオアンテナ

 初期のラジオで電波を受信するには家の外に長いアンテナを張って電波を受信する必要がありました。
以下の図は上記Aeriola SR.の蓋裏に描かれたアンテナの設置例です。


Westinghouse社Aeriola SR.の蓋裏に張られた説明図

 雑誌「科学知識、大正14年5月號」にアンテナの設置方法が紹介されています。当時の標準としてL型の空中線について述べられており、空中線と地線(アース)と合わせて全長25mと書かれているので相当の長さになります。空中線の両端には碍子をつけて絶縁しています。


科学知識、大正14年5月號」に掲載されたアンテナ設置図


様々な碍子

 

 ●バッテリー(電池)

 初期のラジオはバッテリーで動かしました。真空管を動かすのに必要な電圧に合わせて、バッテリーを直列につなげて電圧を調整しました。例えば90Vが必要な場合、22.5Vのバッテリーを4台直列につなげます。以下右と中央の写真は6Vと3Vのバッテリーです。右図は上記Aeriola SR.の蓋裏に描かれたバッテリーの接続例です。


 

ユアサバッテリー6V
 
   
  EVERYDAY RADIO C BATTERY
   
      バッテリーの接続例

 

●鉱石ラジオ

 鉱石ラジオと聞いてピンとこない方も多いのではないでしょうか。電波を受信するとアンテナ回路に微弱な電流が発生します。これは正弦波と呼ばれる波の形をしており、そのままでは音声として再生することができません。この電流を方鉛鉱や黄鉄鉱などの鉱石に通してから、クリスタルイヤホンで聞くと、音として再生されるのです。今でいう半導体といったところでしょうか。


鉱石ラジオの構造


鉱石の種類

 電池も真空管も不要で、構造もシンプルなことから自分で部品を調達して自作することができました。ラジオの放送局が近ければ、鉱石ラジオで十分聴取することができたのです。室内アンテナを使えば外から見ても分りませんので、届け出をしたり毎月の受信料を払わなくも済んだこともあり、鉱石ラジオは広く普及しました。大正時代・昭和初期は国内全体の約半分が鉱石ラジオであったと言われています。関東の仮放送の時には登録済みのラジオが3,500台だったのに対して、未登録の鉱石ラジオは5,000台もあったと言われています。

 こちらが1920年代の鉱石ラジオです。


アマチュア自作もしくは
ラジオ商制作(日本)

アマチュア自作(米国)

アマチュア自作(米国)

   

 ●江戸民具街道でのラジオ展

 江戸民具街道には大正時代~昭和初期のラジオが展示されています。相模原にお住まいであった故山室圭三氏のコレクションを主に展示しています。放送局型の国産ラジオから米国製まで、木製キャビネットのものを中心に展示しています。ラジオがこれだけ並ぶとその姿は圧巻で、ラジオに興味のない方でも思わず見入ってしまうことでしょう。ラジオアートという言葉がありますが、正にそれを体験して頂ける不思議空間となっています。時を経て生き延びてきたラジオが持つ機能美と形態美の魅力を是非お楽しみ下さい。


 ●おまけ:ラジオと動物

大正14年4月1日発行の国際写真タイムズにラジオを聞く犬が紹介されていました。

大正14年9月のラジオ画報の表紙にうさぎにラジオを聞かせるイラストが掲載されています。音に敏感な耳の長いうさぎはラジオを象徴しているのでしょう。

 

   時をほぼ同じくして米国のラジオ雑誌 Radioの1926年3月号の表紙にうさぎの影絵を孫に見せるおじいさんが描かれています。

 

 


次は「真空管とあかりのお話」になります。

 

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