おもしろ体験博物館
江戸民具街道 
Japanese Folk Art Museum
Edo Mingu Kaido

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江の島の古い絵葉書コレクション
A Collection of Old postcards of Enoshima

江戸民具街道にある古い絵葉書から1900年代初頭の江の島を訪ねてみましょう。
以下スタンプや消印から時代の特定ができる絵葉書と
写真から年代が推定できるものをご紹介します。

※絵葉書に使われた写真は消印よりも数年以上前に撮影されたものかもしれませんが、
年代を特定するにあたり、消印日付を基準としております。

●1905年弁天橋
岸沿いに高波を抑えるための材木が並んでいるのが分かります。



菊切手の消印は丗八年五月二日と読み取ることができます。


●1905年弁天橋
江の島地曳と書かれており、弁天橋西側の砂浜で地引網をしている光景ですが
「明治丗八年凱旋觀艦式記念」のスタンプが押してあり、
横浜で日露戦争凱旋観艦式が行われた時のものだと思われます。





菊切手の消印は39-5-27になっています。
 

●1906年稚児ヶ淵
稚児ヶ淵の光景です。



MEIJI 39-8-1のスタンプが押されています。

●1907年(推定)江の島海岸
江之島海岸カラ片瀬ヲ望ム」と書かれた絵葉書です。



切手が剥がれ消印も消えかけています。消印は2か所に押されており、
中央にあるのがアラビア数字の日付、切手部分は漢数字ですが、
残念ながら年号はほぼ消えています。

漢数字には十と思しき文字が残っており、明治三十年代であれば丗という字が使われることからすると
四十年と漢数字が押されていたものと推測します。
 

筆跡は美しいくずし字で、江戸時代に生まれた育った方が書かれたのではないかと思われます。

●1907年弁天橋
明治四十年と手書きの記述がある弁天橋左側の光景です。

 

菊切手の消印は四十年六月二十二日となっています。


モース博士が臨海実験所に使った小屋(右から3番目)は
30年経過後も健在ですが壁が激しく傷んでいます。

●1908年弁天橋
上記 明治40年と下記明治42年の間に相当する弁天橋左側の光景です。

 

上記1907年の絵葉書で健在だったモース博士の臨海実験所の小屋(右から3番目)が取り壊され、
残骸が山積みになっています。この絵葉書は1908年と推定することができます。
恵比寿楼と思しき旗が掲げられています。


上記1907年の絵葉書には存在しなかった青銅の鳥居前の両側に旅館が姿を現します。
左側の建物は大正中期には姿が見えなくなるため、後に火事で焼失したのではないかと推測します。

●1909年弁天橋左側
弁天橋左側の光景です。



菊切手に42.5.16の消印があります。


モース博士の臨海実験所の小屋は完全に姿を消しています。
残骸も撤去されて更地になっています。



●1908年~1909年弁天橋右側
弁天橋右側の光景です。
モース博士の臨海実験所の小屋が見えないこと、

1909年に登場する電灯を灯すための電柱が見えないことから
1908年~1909年のものと推定されます。



弁天橋越しに弁天橋左側の建物の屋根が見えますが、
モース博士の臨海実験所の小屋の屋根が見えないことから

小屋は取り壊された後ということになります。

●1908年~1909年江の島入口
青銅の鳥居前手前に建つ2階建ての旅館があること、
電柱が見えないことの2点から1908年~1909年のものと推定されます。
鳥居のところを左に行った先がモース博士の臨海実験所跡地になります。

●1909年七里ガ浜から江の島を望む
七里ガ浜から江の島を望む光景です。
明治時代とは思えないチェック柄の洋傘が写っています。



菊切手に42.10.6の消印があります。

●1910年以前の江の島全景
絵葉書の型式より1910年以前のものになりますが、
モース博士の臨海実験所に使われた小屋が健在なことからすると1907年以前のものと推測されます。
恵比寿楼の先にある山肌があらわになっていることから、崖崩れがあった可能性が見て取れます。



解像度はよくありませんが、モース博士の臨海実験所の小屋が写っていますので、
1907年以前のものと推定することができます。

●1913年相州七里ケ浜から江ノ嶋を望む
大正2年4月13日江の島金亀楼ニテ、と手書きの記述が有ります。



●1913年稚児ヶ淵
写真は上記1906年のものと同じですが、手彩色になっており、
富士山は後から書き足したものだと思われます。



菊切手に2.8.30の消印があります。菊切手が販売されたのは明治なので、
明治時代に買置きした切手を大正2年に使用したものと推測されます。

●1915年稚児ヶ淵



田沢切手に4. 8. 6の消印が有ります。
絵葉書の通信欄の型式より大正4年と判断できます。

●1916年江の島入口
電柱が弁天橋の西側に立ち並んでいます。
江の島に電灯が灯ったのは1909年だといわれています。



田沢切手に5. 8. 21の消印が有ります。(消印が逆さまに押してあります。)
絵葉書の通信欄の型式より大正5年と判断できます。


●1918年江の島入口
写真にグラデーションが付き、モダンな絵葉書になっています。



田沢切手に7. 5. 2の消印が有ります。
絵葉書の通信欄の型式より大正7年と判断できます。

●1922年稚児ヶ淵
大正11年5月31日と手書きの書き込みが有ります。
写真が楕円形になり、モダンな雰囲気になっています。



田沢切手に11. 6. 1の消印が有ります。

●1923年関東大震災直前の江の島入口
田沢切手に12・8・18の消印が押してあります。
田沢切手は大正2年から昭和12年まで使われました。田沢切手だけでは大正12年なのか昭和12年なのかが分かりませんが
昭和12年4月に郵便料金が2銭に値上がりするので、この1.5銭の切手はそれ以前のものということになり、
消印の数字12は大正12年と判断することができます。

印刷は大正中期以降に登場するオフセット印刷で、拡大すると網点があることがわかります。



大正12年8月18日は関東大震災が発生する2週間前です。
大震災で江の島は4mも隆起したと言われています。
この写真は震災前の姿を捉えた貴重の写真ということになります。
片瀬写真館謹製と印刷されています。


 

●海を渡った江の島の絵葉書

①フランス・リオンから里帰りした絵葉書(1906年/明治38年)

切手が剥がされている絵葉書です。
当時日本の切手は貴重なコレクションアイテムだったのかもしれません。

海外便のスタンプがYOKOHAMA ** 9. 06 ****Nと残っています。
欧州標準の日付表記型式である日、月、年から判断すると
1906年9月の消印となります。
(日本では日にちに0を入れて06日と表現することがないこともその理由です。)

切手の部分が欠落していますが、何故かスタンプが逆さまに押されており、
これが幸いして年代を特定することができました。

スペイン・バルセロナから里帰りした絵葉書(1909年/明治42年)

前述の1907年の絵葉書と同じ写真ですが、手彩色されています。
稚児の淵の絵葉書のように白黒写真をカラー化して再利用したものになります。

記念スタンプの日付は42.4.6とあり、菊切手には42.4.20の消印があります。
通信欄には海外便の消印 TOKYO 20. 4. 09 JAPANが逆さまに押してあります。

欧州標準の日付表記方法である日、月、年の順番になっており、09は1909年を意味することが分かります。

 ③英語のメッセージが書かれた絵葉書

こちら絵葉書は通信欄に英語のメッセージが書かれています。
June 10と書かれていますが、残念ながら年代が書かれていません。
建物を拡大して観察する限りでは1907年以前のものと推定されます。
その後に手彩色されて再利用されたのでしょう。

 

●絵葉書で訪ねる昔の江の島のスライドショーはこちら


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