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江の島から姿を消した老舗旅館「金亀楼(金甕楼)」
Kinkiro Hotel in Enoshima

 江島神社は慶安二年(1649年)仏教と習合し、金亀山与願寺と号した。岩屋本宮(奥津宮)、上之宮(中津宮)、下之宮(辺津宮)の三宮はそれぞれ「宿坊」と呼ばれる宿泊施設を備えていた。明治時代の神仏分離により宗教と分離されて江島神社となり、宿坊は一般向けの旅館としてそれぞれ岩本楼、金亀楼、恵比寿楼となる。

 明治31年8月8日に発刊された風俗画報171号「鎌倉と江の島」の特集号には金亀楼から見た風景と建物が描かれている。その同じ画が同誌174号(明治31年10月10日)にも掲載されている。金亀楼は次のように紹介されている。「辺津の宮、涼風通る神垣に沿い、岩を抱きて海面を抜く数十仭(※仭は約2m)の高所に、旅館金亀楼あり。金亀は江の島の山号(※仏教の寺院に付ける称号)に取るなり。明治21年4月新築せしに、その翌年八月に回禄(火災)の災にかかり、12月再建せしものにして、客室20を有す。ひとしく眺望に適す。」

 明治期に日本に滞在し「日本旅行者ガイドブック」を執筆したバジル・ホール・チェンバレン氏は金亀楼について次のように述べている。「金匱楼は絵に描いたような江の島の高台に位置し、一流の広々としたホテルであり、海と周辺地域の絶景を見ることができる。暑い季節には海からのさわやかなそよ風が吹く最高の避暑地であり、すぐ近くには綺麗な海水浴場もある。洋食と日本食の両方を食べることができる。」
“Kinkiro Hotel, Enoshima: This first-class and commodious Hotel is situated at the highest point of the Picturesque island of Enoshima and commands a magnificent view of the sea and surrounding country. As a summer resort, it possesses unrivalled advantages since its splendid position ensures refreshing sea breezes throughout the hottest months of the year. Fine sea bathing within easy reach. Both European & Japanese food may be obtained.”
– A Handbook for Travellers in Japan, by Basil Hall Chamberlain & W. B. Mason, 1901 -

 金亀を名乗った金亀楼(金甕楼)は岩本楼、恵比寿楼と並ぶ老舗旅館の一つであったが、今は姿を消してしまい、旅館の跡地は花の広場(中津宮広場)になっている。今ではここに多くの観光客が訪れ、すぐ横の展望台からは七里ガ浜から稲村ケ崎までを一望することができる。

 江の島で世界の貝を展示している物産店「貝広」(創業者が金亀楼から養子に来られたという)のご主人に話を聞いた。金亀楼は眺望に恵まれた人気の旅館であったが、高台まで階段を上っていかねばならず、車社会となった時代にそぐわなかったのではないか?とのことであった。

※物産店「貝広」ホームページリンク:http://www004.upp.so-net.ne.jp/kaihiro/shop/ayumi.htm

以下金亀楼の面影をしのばせる資料を紹介する。

・旅館金亀楼

明治29年(1896年)銅版画より


明治31年(1898年)10月10日発刊風俗画報174号
金亀楼から見た風景と建物



・金亀楼正面

スタンプより大正2年(1913年)頃と推定
軒下に ガス灯と思しき外灯が見える。
左下に見える街灯は型式から見て石油ランプである。
手前の建物の屋根は藁ぶき屋根である。


上記写真と同時期と推定されるが、
植木の伸び具合から上記写真よりも後のもと推定される。
石油ランプの姿が見えないので撤去されてしまったのであろうか。
石油ランプよりもガス灯の方がメンテが楽なことから考えると
ちょうど石油ランプからガス灯に移行した時期だったのではないか。


垣根がブロック塀になる。
道の反対側に池が見える。この池は今でも残っており、
亀が泳いでいる。当時のことを覚えている亀は今でもいるのであろうか。



道路脇に電柱が建ち、屋根の前に電線が張られる。
電話番号が書かれていないため、これは電線ということになる。
片瀬寫眞館謹製と書かれている。
1914年から1916年の間と推定される。


Kinkiro Hotel, Beer, Milk Teaと外国人を意識した看板が掛かっている。


大正9年(1920年)
手前の建物の屋根が瓦屋根に増改築されている。
(1917年には瓦屋根になっていた。)
辺津宮の石段を下りてきたあたり。
電話片瀬十番とあることから電話が設置された後になる。


以下上記写真と同じもので広角になったもの。
左側にある蔵と思われる建物の側面には金亀楼の文字が書かれている。


・金亀楼玄関の絵葉書
大正7年(1918年)~昭和8年(1933年)の間の絵葉書型式。

・金亀楼客室

大正6年(1917年)
本絵葉書の消印は大正6年。この写真が撮影されたのはそれ以前であろうが、
金亀楼の大広間では当時まだガス灯が使われていた可能性は十分考えられる。
前述の入口の絵葉書によると1916年には電線が引かれていることから、
電灯が導入される直前であったとも考えられる。
江の島に電灯が灯ったのが1909年といわれており、
金亀楼は山腹にあるため、電灯の導入が遅れたのであろうか。




正面玄関の3枚目の絵葉書とセットになっていた金亀楼客室の絵葉書。
天井からはガス灯が下がっている。


以下ガス灯より同時期のものと推定

大正7年(1918年)~昭和8年(1933年)の間の絵葉書型式。
ガス灯が撤去され電灯になっている。
障子の一部がガラスになっている。





・金亀楼庭園


スタンプより大正2年(1913年)頃と推定


大正6年(1917年)消印有


上記と同時期と推定


大正12年(1923年)前と推定(宛先地名より)。
電話片瀬十番とあることから電話が設置された1920年以降ということになる。
これより1920年~1923年と推定する。
障子にガラスがはいる。


上記絵葉書と同じ頃と推定


大正初期と推定
七里ヶ浜を望む風景


大正7年(1918年)~昭和8年(1933年)の間の絵葉書型式。


大正7年(1918年)~昭和8年(1933年)の間の絵葉書型式。
現在展望台になっているあたりであろう。


七里ガ浜より江の島を望む

「大正2年4月13日江ノ島金亀楼ニテ」の記述有
絵葉書に押されたスタンプが大正2年頃に使われていた証となる。



・金亀楼食堂

昭和8年~20年(1933年~1945年)のもの。
天井から電灯が3つ、多数の花飾りが吊り下がっている。



・金亀楼浴場

昭和8年~20年(1933年~1945年)のもの。
ステンドガラスの窓のデザインが美しい。
戸の大きさと比較するとかなり大型の窓である。



・江の島・鎌倉名所案内

昭和11年(1936年)頃のものと推定される。
江の島の本店と別館以外に、内地に3つの支店の場所が記載されている。


現在江の島観光案内所で配布している 江の島イラストマップに掲載されている金亀楼跡地(中津宮広場)の場所


金亀楼にご興味を持たれた方は是非花の広場をご訪問下さい。

 

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